2012/05/06

すべてはゲームかもしれない

『受験はゲーム』を書いたのはもう3年前になる。
はじめての著作を出すというのに、
人生における本質ではない物事がテーマだから
せめてタイトルだけにはこだわりたかった。
それで考えた末にこういうタイトルをつけた。

編集者はもっと露骨な書名を提案してきていた。
〜〜すれば短期間で成績が伸びる、みたいな。
以前は僕も素朴に考えていたのだけれど、
書籍は著者が一人でつくれるものではなくて、
編集者との協力作業であり、
出版社にとっては大切なビジネスだ。
だから妥協してサブタイトルを安直なフレーズにした。

あの本を、「ゲーミフィケーション」の走りだね、
というふうに評価してくれる人が時々いるのだけれど、
この言葉はマーケティング的な小細工の話がほとんどで
結局のところ一過性のものになるのではないかと思う。
そういう流れでゲームについて語るなら、
せめてこれこれなんかを見てからの方がいい。

本のあとがきに書いた通り、
『受験はゲーム』というタイトルに僕が込めたのは
1,受験はゲームの攻略する方法がある
2,受験はゲームのように楽しめる
というふたつの表立った意味と、
3,受験はゲームと同じく人生の本質ではない
という裏側にあるみっつめの意味だった。

受験競争はゲームとして楽しんだらいい。
そのための武器や方法論のヒントはここにある。
でも、勝っても負けても本質的に
それは単なるゲームに過ぎないんだよ、
そうしたことを受験生に伝えたかった。
受験本という安直な本を出すせめてもの贖罪として。
この最後の意味はあまり伝わらなかったけれど、
人生のセーフティネットとして
今でも若者に伝えたいことの一つだ。

受験に限らずビジネスだって経営だって
ある種のゲームであると言えないことはない。
ゲームは本気でやらなければうまくなれない。
そのためには技術も戦略も必要だろう。
でも、勝っても負けても大した差はない。
大切なのは、そのプロセスを楽しむこと。
それ自体に、いちばんの価値があるのだと思う。
そして、プロセスを楽しんでいれば
結果的に自分のパフォーマンスは最大になる。
それができれば、たぶん死なずに生き延びていける。
そのような生き残り方(=道の切り拓き方)を
身につける場としては、
受験は悪くない場所だと今でも思う。

だってほら、たとえばさ、
人生はゲームだ。
そう考えたら、もっと楽しめそうじゃないですか。
実際、僕は自分というキャラクターを
三人称視点で見下ろして操作している
プレイヤーであるような気分になることが、今でもあるよ。

◎TED動画に出てくるWarcraftもEverquestもよくやった。
とりわけWorld of Warcraftは僕が最後に触ったMMORPG。
いろんな物事が一段落した数十年後にはまたゲームに没頭したい。