2012/05/10

「可能性の幅」への想像力

先日公開した道伴舎の指導についてのサイトでは
「僕らに魔法の学習法はない」という点を強調した。
それはたとえばゲームの上達でも同じで、
どんなゲームも魔法のような上達法は存在しない。

先日、ウイイレの元世界ランカーが入塾してきた。
それはすごいねと僕もスタッフも興奮したのだけれど、
どうやってそこまで強くなったのかを聞いたら、
「毎日18時間のゲームプレイを
3ヶ月にわたって持続したからだ」といっていた。
僕も似たような経験をしたことがあるけれども、
なんであれ、努力して成長したという経験があれば
その体験をベースに学習や仕事に応用できるのだと思う。

ただし、一人ひとりの状況や資質は違うのだから、
それを踏まえて戦略を立てることが欠かせない。
どんな勉強法の本であれウェブサイトであれ、
それを鵜呑みにしては役に立たないどころか害悪になる。
特にウェブ上の情報は書き手の世界が狭いこともあって
「置かれている状況の違い」を無視したケースがほとんど。
そんな情報に振り回されたり一喜一憂したりしていても、
時間を浪費するばかりで、得られることは少ないと思う。

大切なのは、自分の強みを最大限に発揮できる方法を
徹底的に考え、そのヒントとなる情報を集め続けること。
それを元に戦略を考え、地道に実行し、試行錯誤を重ねる。
何かを達成できるか否かは、そのような当たり前のことを
どれだけ徹底してできるかにかかっているのだと思う。
道伴舎の指導は、それをサポートするに過ぎない。

世に出回る勉強法の多くはそういったことを
あえて隠して売られていたり宣伝されていたりする。
ビジネスだからやむをえないことなのかもしれないけれど、
それでは挫折して諦める人をいたずらに増やすだけだ。
これは「勉強法」を仕事術や企業の戦略論に置き換えても、
基本的には同じことなのではないかと思っている。

この地道な努力を重ねるために
最も重要なのは「生命力」だと僕は思う。
そして、生命力は「自分の可能性への想像力」が担保する。
その可能性には、ポジティブな可能性だけではなくて、
ネガティブな可能性も含まれる。
つまり、最高の状況と最低の状況の両方を
イメージできる方が「可能性への想像力」は高いといえる。
僕がレールから外れてドロップアウトしてよかったと思うのは
この「可能性の幅」を実感することができたこと。
それが最高の状況へ近づこうとする生命力の源になった。

ただし、可能性の幅を実感するためには
「最高の状況」と「最低の状況」の両方を
想像することのできる経験や情報が欠かせない。
それを「ビジョンと危機感への想像力」と言い換えてもいい。

僕はたまたまその両方を得る機会に恵まれていた。
でも、誰も彼もがその両方を手にしているわけではない。
そして道伴舎にくる塾生や興味をもつ人は
「最低の状況」に近いケースが少なくないけれど、
それは可能性の幅を実感するチャンスと言うこともできる。

もし彼ら彼女らが、この空間や指導において
「最高の状況」を描けるような情報や経験を届けられれば、
「自分の可能性への想像力」を持てるかもしれない。
そううやって可能性の幅を実感できれば、生命力が生まれる。
それが「心に火をつける」ことだと僕は考えている。
心に火をつけ、わくわくして生きるのは、楽しいよ。

◎今日は甲斐考太郎の連載第二回
   続きがたのしみだな、と僕は感じました。わくわく。