2012/05/11

楽しさの複雑さについて


しかめつらしないと読めないような文章を
書きたくないと思いながらも
ここ最近はそんな文章ばかり書いてる気がする。
こんなことになっているのは、
「楽しく仕事したり学んだりしている」
ということを書きすぎた反動かもしれない。

楽しさは、ただ遊んでいる時に現れるわけじゃない。
むしろ、単純な楽しさには人はすぐ飽きてしまう。
たとえば僕が高校を中退して人生で一番暇だった頃は、
それまで熱中していたゲームにも飽きていて
楽しくないどころか退屈すぎて死にそうだった。
あんな時間はもう二度と味わいたくない。

楽しさは、なにかに向けて挑戦したり努力したりする、
そのプロセスでこそ感じられるものだと思う。
ゲームだって努力して腕を磨いている間が楽しい。
その楽しさには、達成への期待や不安や緊張感といった
いくつもの要素が入り混じった深みがある。

「束の間の休息」も「束の間」だから楽しいのであって、
その休憩の時間が永遠に続くとなれば拷問だ。
仕事終わりの一杯のビールを美味く感じられるのは、
それまでに充実した仕事をしているからこそ。
そういえば、昨日みんなで飲んだビールはうまかったなぁ。

楽しさは、その前提に戦う覚悟があるのだと思う。
勉強でも、仕事でも、それは変わらない。
でも、そうした覚悟は自然とできるわけじゃない。
むしろ本当は戦いたいと願っていても、
無知ゆえに、弱さゆえに、人は逃げ出してしまう。
それは悲しいし、もったいない。

だから、たとえば甲斐考太郎のように、
楽しそうに戦っている大人の姿を
ありったけ見てほしいと思うわけです。
しんどいことも含めて、人生はまるごと楽しいからね!

用務員室では、毎日なにかが起こってます。