2012/05/23

街中に「邪悪な怪物」が跋扈してる


先日、ある友人に「寛容だ」と評された。
「寛容」って、なかなかうれしい褒め言葉ですよ。
実際、僕はわりと寛容な方だと思う。
ただ、それは僕の器が大きいとか心が広いとか、
そういう理由からでは決してない。
誰かがどうしようもないことをやらかした時でも、
僕自身が相手と同じくらい
どうしようもないことをしでかす可能性が
十分にあるということを自覚しているだけだ。
(実際たくさんしてきたしね)

とはいえ、とりたてて僕だけが
どうしようもない人間であるとも思ってない。
どんな聖人も、犯罪者も、紙一重の違いに過ぎない。
だから、おたがいさまだね、と思う。
それを教えてくれたのは
学生時代に読みふけった文学や哲学で、
たとえば、サマセット・モームのような人だった。
この稀代のストーリー・テラーは、
透徹した目で見つめた人間をもとにストーリーをつむぐ。
そのギャップから生まれる表現がおもしろいのだけれど、
彼が自分について述べた一節にこんなものがある。

「個々の人間と人間との間に大きな差異はないのだ。
誰もかれも、偉大さと卑小さ、美徳と悪徳、
高貴さと下劣さのごたまぜである。(中略)。
私自身について言えば、
大多数の人よりよくも悪くもない人間だと心得ているのだが、
もし生涯でなした全ての行為と、
心に浮かんだ全ての想念とを書き記したとするならば、
世間は私を邪悪な怪物だと思うことだろう」
(岩波文庫「サミング・アップ」p69)

笑っちゃうよね、「邪悪な怪物」って。
でも実際、僕も、あなたも、
心にいつでも怪物を飼っている。
それを一言でいえば「欲望」であり、
別の言い方をすれば「弱さ」といえる。

欲深くて弱い人間である僕らは、
その怪物に食い殺されないように
日々自分を鍛えていると思うんだ。
テレビや新聞やネットを見ていると、
そんなことにすら無自覚な大人の数に
愕然とさせられることも少なくないけれど、
だからこそ僕は、自分のようなロクデナシでも
けっこうたのしく生きられるということを、
自らの身をもって証明していきたい。
これが僕の寛容であることへの矜持です。

「道伴舎空間とは…?」をはじめ、ちょこちょこ更新してます。
   感想を送るところがついてみたり。
   本日は男塾Dayなので、いつもより温度が高めに指導しますよ。
◎写真の二宮、100ハイ踏破がんばったらしーです。
   明日は、どんな姿で登場するのやら・・・?