2012/05/27

僕らはちっぽけな点に過ぎないけれど


今日は写真にあわせて文章も、ややロックにはじめます。

世界を一枚の絨毯(じゅうたん)と考えてみる。
タテ糸が「時間」でヨコ糸を「空間」だとすれば、
あらゆる事物は糸の交差する編み目の一点に過ぎない。
もうすこし状況を限定して、人間を中心に据えてみよう。
すると、絨毯の描く模様は人間社会の写し絵となって、
タテ糸は「歴史」と、ヨコ糸は「役割」と名付けられる。

家族、地域、学校、会社、国家、世界、人類…。
人が何人か集まるところにはいつも
歴史が生まれ、その物語の登場人物が現れる。
その中で人は歴史のある部分を受け継ぎ、
そして物語における役割を引き受けて
「いまここ(now-here)」たる一点を生きる。

でも、編み目の一点として日々を必死に生きていると
大いなる絨毯のことなんてすっかり忘れてしまう。
たとえば二次方程式の解の公式を暗記する時に、
あるいは会社で経理の仕訳業務をしている時に、
歴史や役割のことなんてこれっぽっちも感じられない。
そうしたことばかり繰り返していくうちに、
僕らは自分の存在する意味を見失って苦しくなっていく。

人が生きることに意味なんてないかもしれない。
でも、絨毯の編み目はどの一点が欠けても存在しえない。
そんなふうに歴史と役割とが、自分という
ちっぽけな一点に注ぎこまれているのを感じたとき、
はじめて人は無意味な人生の意味を知るのかもしれない。

なんて。

偉そうに説けるほど僕は物事を知りはしないけれど、
それを感じたり考えたり学んだりすることの大切さを
伝えられる大人が増えたら、きっと世界はたのしくなる。

◎「ペルシャ絨毯の哲学」を語るこの小説は、
   今日の話の下敷きであり、僕の青春の一冊です。

●写真は僕が5年前に住んでいた「平山ビル」の解散式。
   この場所も、あと一週間で退去→ビル取り壊しだそう。
   前身の「道塾」を立ち上げたのは、この部屋でした。
   「編み目」を実感させてもらいました。ありがとう…!