2012/05/31

「誰かのために何かをしたい」


「誰かのために何かをしたい」という気持ちは
人間が生まれ持った本能なのだろう。
おそらく赤ちゃんが他者から承認を受けることで
はじめて生き延びられることに起源があって、
成長した後でもそれは本質的には変わらない。

何年も前に僕が「早稲田への道」を書いた後、
「ありがとうございました」という連絡をもらった時に
それまで味わったことのない喜びを感じた。
いまの仕事をしているのも、それが原点にある。
自分の行為が他者に受け入れられるのは
生きてることの意味を確認させてくれる。
それが「働く」ことの根底にあるものだと思う。
家事の手伝いやボランティアという行為は、
身近なところでそれを感じさせてくれる。

ただ、これほどまでに分業化の進んだ社会では、
そのような形で承認を得るのはとてもむずかしい。
たとえばコンビニの深夜のアルバイトで
生きていることの意味はなかなか感じられない。
あるいは霞が関や六本木のビルの一室で
難しい書類とにらめっこしていてもそれは同じだ。
だから大学生や社会人になりたての若者は
生きる意味やはたらく喜びを求めて、
「自分のためor誰かのため」という二項対立で
うじうじと悩み、苦しむことになる(僕もそうだった)。

それは、どうやって乗り越えたらいいのだろう?
それについていろいろ書いてみたのだけれど、
だいぶ長くなって収集がつかなくなったので
続きは、またそのうち書くことにします。

◎写真は昨日、遊びに来てくれた朴とてっちゃん。
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