2012/06/05

人前で話した後は


激しい自己嫌悪に襲われるわけです。
もう何度も味わってるのでわかってたわけだけど・・・。

もちろん、自己嫌悪に陥らない話し方もある。
リスクを背負わず、自分をさらさなければいい。
それはそれで、よくまとまった「いい話」になる。
たとえば僕が受験生相手に話をする時とかね。
かっこいい話をストレートに伝えればいいから
話してるこちらも楽だし気持ちがいいんです。

でも、その語り口では伝わらないことがある。
だから魂を込めて語ってみれば、必ず自己嫌悪になる。
そこには自分の浅はかさと未熟さが詰まってるから。
まぁ、それが僕の引き受けた役目なので
仕方ないなと思いつつ、昨日は眠りにつきました。

一夜明けて今日。
話し足りなかったな、という反省点がいくつも。
誤解があるといけないので、致命的なところだけ
少し長くなりますが以下で補足させてください。

1,大学の授業は必ずしもクソじゃない
最前列に何人か教授が座っているのに
クソだのなんだの好き勝手に繰り返し言ってました。
あとからシオメに「ヒヤヒヤしました」と言われてから
すっかり言いそびれたことに気づきました(反省)。
実は、僕は大学4年目で出会った授業、
それも単位にもならないもぐりの科目に
3年間ほとんど欠かさず出席し続けたことがあります。
それ以外にも、授業を受け続けはしなかったけれど、
いろんないい先生を知ったり、出会ったりしました。
(たとえば早稲田なら「自分経営」の友成先生とか)。
当たり前のことだけれど、どんな大学でも
すべての授業や教授がパーフェクトであるはずがない。
それは、若かりし僕の甘えであり過剰な期待でした。
でも、目をこらして一歩を踏み出し続ければ
出逢うべき教授や先生に必ずぶちあたります。
それも含めて「一歩踏み出す」ことを伝えたかった。
このフォローを後でするつもりだったので
先に貶しておいたんだけど、すっかり回収し忘れてました。

2,「個の固有性」と「市場価値」の両立は可能
いちばん最後の質疑応答で出た話題。
授業後に質問に来てくれた学生もいました。
一昔前までは個の固有性を追い求められるのは
芸術家や革命家のような生き方くらいしかありえなかった。
それが世間に認められなければ、人生の敗北者だった。
でも、いまはこの国の経済および価値観の成熟と
インターネットをはじめとする技術の進展とによって、
誰もがそうした生き方を目指すことができる
素晴らしい時代だというのが僕なりの時代認識です。
「個の固有性」と「市場価値」という言葉だけを取り出すと
一見すると両立できないと誤解してしまいそうだけれど、
両立できるし、それを目指すべきだろうと思っています。
ただ、20代から「個の固有性だけ」で食べていけるのは
現実にはある種の才能や幸運に恵まれた人だけ。
だから、学生時代には個の固有性と向きあって
それを磨く経験を、読書や人との出会いや
プロジェクトへの参加などを通じてたくさん積んで、
個の固有性の種と養分を蓄えておくことが大事で、
社会に出てから市場価値を高める経験を積みながら
個の固有性という種に水をやるようにして、
30代以降で花として咲かせるくらいのイメージで
生きるのがいいんじゃないか、ということを伝えたかった。

3,目先の損得で動きがちなのも若さだけれど
苦労は勝手でもしろという言葉があるけれども、
20代も終わりになって僕はその重みを実感しています。
たとえば「早稲田への道」という道伴舎の原点にしても、
僕が何かを得しようと思ってはじめたことではありません。
ただやりたかったから、全力でやっただけです。
でも、それがあとになって生きるためのベースになった。
そうした経験から思うのは、目先の損得で動くと
個の固有性はすり減ってしまうだろうということです。
20代で目立っている人を見ると焦る気持ちは分かる。
多くの学生や若手社会人からすれば
僕もそうした一人に数えられるのかもしれない。
でも、そんな一時の表面的な浮き沈みに惑わされずに
ていねいに生きていくことが大事だと僕は考えています。
学生時代や20代にまったく報われないとしても、
それをモチベーションに変えていつか花を咲かせる
というくらいに構えていたらいいと思います。
僕自身、そうやって考えて行動しているつもりです。

4,「個の固有性」を磨くことと「差別化」は違う
これも授業後の質問で聞かれたことです。
コモディティという言葉をつかったので、
すこしビジネスのことをかじった学生には
そうやって誤解させてしまったかもしれません。
たしかに、外側からはこのふたつは同じに見えます。
でも、それは本物の芸術家が魂を込めた作品と、
それを模したコピー品くらいに違うと僕は思います。
「個の固有性」と「市場価値」との両立を探求すれば、
結果として差別化につながることは間違いない。
でも、だからって「自分を差別化しよう」という考えからは
根源的なモチベーションは生まれないと思っています。
僕は「かっこいいから個の固有性を磨こうぜ」
というような話をしたかったわけではありません。
自分はどこから来たのか、何者なのか、どこへ行くのか、
そういった青臭いけど根源的なことを見つめるところから
はじめて個の固有性は立ち上がってくるし、
それが苦しいことの多い時代に生きる現代の若者が
死なずにサバイバルするためのエネルギーになる。
得意なこと、好きなこと、譲り渡したくないもの、
この時代のこの場所に自分が生まれ落ちた意味。
何にも煩わされることのない
学生時代の数年間にもっとも大切なのは
そうした「目に見えないことの探求」だと思っています。
それを自分の人生への意味付けと言い換えてもいい。
それと市場価値とを両立させるのは苦しく大変だけれど、
その時にも「ゲームと物語」の考え方を持って歩めば
楽しさと喜びの混ざった冒険のようなものになると思う。
結果として、20代の日々を生き抜くことができる。
それが「個の固有性」という言葉で伝えたかったことです。

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今回、僕が大隈塾で話したことの要点は
「差別化をしよう」といったビジネス論ではなくて、
もっと文学的で哲学的で、古くて青臭い話なんです。
そんなことを本気で語る若者が少ない気がするから
僕の泥臭い人生をすこし今風にアレンジして語りました。
たまにはそういう登壇者も必要なんじゃないかと思って。
感じたことがあれば、伝えてくれればとても嬉しいです。

個人的には、
10代の終わりに書いた「早稲田への道」に対する
罪滅ぼしのような気持ちが少なからずありました。
「早稲田からの道」を歩みはじめる学生に向けて
20代の終わりに大隈塾という場で語ることができたのは
僕にとってはとても意義のある、感慨深い経験でした。

最後に、聞いてくれた人へ。

肉体的にはもちろんのこと、
精神的にも死なずに生き延びましょう。
そしていつかどこかで互いに個として出会ったなら
サバイバルできた奇跡と再会を祝って杯を交わしましょう。
長い話に付き合っていただき、ありがとうございました。

◎写真は聞きにきてくれた渋谷と二宮。
   その他の大隈塾の風景も用務員室に載ってます。
   それと、「しおめが聞く。」が地味ぃーにはじまってますよ・・・!