2012/06/06

学び続ける力は、どこで学べばいい?(前)


すこし前の書籍の話になるけれど、
東大やオックスフォード大などで教授を歴任している
(教育)社会学者・苅谷剛彦が、『学力と階層』の中で
「学習資本主義」という概念を提唱している。

僕が中学の授業で学んだプログラミング言語「BASIC」は
それだけ知っていても今では何の役にも立たない。
あらゆる知識が瞬く間に陳腐化する現代においては
「学び続ける力」こそ人生を切り拓くためのキモといえる。
それを苅谷剛彦は「学ぶ力」=「資本」として捉える。
「学ぶ力」という「資本」をどこに投資するべきか、
それを理解している人が最も有利に生きられるということ。
とはいえ、こうした考え方だけならば、
「学習」のかわりに「情報」「知識」「文化」といった
言葉で置き換えられるありふれた言説に過ぎない。

苅谷剛彦の「学習資本主義」が他と違うのは
「学習資本」すなわち「学ぶ力」の差によって
社会における経済的成功は大きく左右されるが、
その「学ぶ力」は生まれた環境によって
ほとんど決定づけられてしまう点を証明したことにある。
それは経済的に優位な環境で育った子どもが
「学ぶ力」によって必然的に優位な層にたどりつく一方、
学びと隔絶された層が再生産されているということだ。
だからこそ社会の格差の深化を是正するために、
「学ぶ力」にかかわる格差を是正する施策を
たとえば教員を増やすといった方法で講ずるべきだ、
というのが苅谷剛彦の主張だった(と僕は理解している)。

要するに階層が固定化されつつあるという指摘だが、
そんなことは言われなくても実感値として皆わかってる。
そのせいか、なかなか刺激的な考察である割に
まったく注目されずググってもほとんどヒットしない。
ただ、ここでそのことを問題にしたいわけじゃない。
「資本」としての「学習」を欲する若者は
今後、この国においては少なくなる一方だろうから。

問題は。

ここにある「二重のねじれ」の無視ではないかと僕は思う。
それについては、やや長くなったのでまた明日書きますー。

◎写真は本日ベトナムから遊びにきてくれた川村さん
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