2012/06/08

学び続ける力は、どこで学べばいい?(後)


前回の続き。
まず「二重のねじれ」の無視について。

たいていの親や教師は相変わらず
子どもの「学力」を高めようと躍起になっている。
でも「学力」と「学ぶ力」は必ずしも一致しない。
国別比較をすれば相反しさえするんじゃないだろうか。
無理やり勉強させた分だけ失われるものがあるからだ。
しかも、勉強によって得られるゴールが「資本」では
この国の若者の学ぶ意欲に火をつけるのは絶望的に難しい。

僕が「二重のねじれ」として言いたいのは、
勉強を無理やりさせようとするのも、
「経済的優位」なるエサで釣ろうとするのも、
「学ぶ力・学び続ける力」を高めるための
解決策にはならないのではないか、ということ。

誤解のないように付け加えておくと、
僕は無理矢理にでも勉強することや、
お金を稼ぐことがダメだと言っているわけではない。
それらは間違いなく尊い行いだ。
でも、それを「尊い」と感じられるだけの「空気」は
僕が育った時代や環境には充満していなかった。
それ以降もこの「空気」は希薄化の一途をたどっている。

いみじくも苅谷剛彦が指摘していた通り、
「学ぶ力」のような分かりにくい能力の獲得は、
点数で測れる受験勉強のような競争よりもさらに
家庭の文化的・経済的な差異がもたらす影響が強い。
結果、総体としての「学ぶ力」は低下し続ける上に、
固定した階層が再生産され、格差は広まるばかり
という悪循環に陥る以外に未来はないかのように思える。

ベトナムからやってきた川村さんと話して浮かんだのは、
こんなことをどれだけ議論したり考察したりしても
一向に埒があかないけれども、
若者を毎年1万人くらいアジア各国に送り込んでしまえば
問題は解消に向かうんじゃないかという妄想だった。
彼の国では「金持ちになりたい」と普通に語られるらしい。
そこで家族と一緒に住めれば何も文句はない、と。
そして、多くの人がそれを実現できると信じている。
そうしたシンプルな希望はエネルギーとして場に充溢し、
あふれ出た希望は通りすがりの異邦人にまで感染する。
「金のため」とは正反対の理由でベトナムに渡って2年、
最初は月収2万円くらいで生活していた川村さんは
そんな「空気」を身にまとい、弾ける笑顔が印象的だった。

「学び続ける力」は知識として教えられるものじゃない。
その場の「空気」を吸い、温度を感じて身にまとうものだ。
それは皮膚から吸収されてハートにまで染みわたっていく。
でも、たとえばうちの指導がそうであるように、
そうした環境をこの国で整えるには金や手間がかかる。
だったら「学ぶ力」を失いかけている若者を片っ端から
「空気」が充満した場所に放り込めばいいというのは、
たぶん、暴論だと受け止められるんだろうなぁ。

でも、僕が17歳で高校を中退している時に
ベトナムに行ってたら世界観が変わったろうなぁ!
自分の置かれている現状の幸福さと可能性を噛み締めて
もうちょっと俺も頑張らねーと、って思えそうだけどなぁ!
そんなヤツらが日本でもゴロゴロ周りにいたら、
もっともっとこの国は面白く明るくなりそうだけどなぁ!

・・・なんて愉快な妄想でワクワクした昼下がりでした。

「#ff4500」第4回の更新です。撮影場所にもご注目。
   ちなみに僕は思い立ったらすぐ告白するタイプです。
   何度フラれたって、振り向いてくれるまで諦めないぜ。
◎写真は、遊びにきてくれた一昨年の塾生との一枚。