2012/06/16

俺たちはその何かに説明をつけるために生きているという節がある。


いま僕の目の前には数十冊の「座右の書」がある。
今更ながら本日はその中から『1Q84』について。

1Q84では月が重要な役割を果たすのだけれど、
僕はこの小説を読み返すたびにいつも
夜空を見上げて月がいくつあるのかを確認してしまう。
それくらい現実と物語とが近くにある。
すくなくとも僕にはそう感じられる。
このどうしようもない現実世界に
物語を通じて日常とは違う角度から光を照らすことで
それまでとは異なる意味を刻み付けること、
それが文学の役割だと考える僕にとって、
月を見上げさせる力があるだけで傑作と呼ぶには十分だ。

BOOK2の途中、タマルという登場人物が
幼い頃に過ごした施設で共に育った少年を
回想するシーンがある。
その少年は、木の塊を彫刻刀で削って
生きているようなネズミを掘り出すことができる。
少年が一心不乱に掘り続けるその風景を、
タマルは忘れることができない。

「それは俺にとっての大事な風景のひとつになっている。
それは俺に何かを教えてくれる。
あるいは何かを教えようとしてくれる。
人が生きていくためにはそういうものが必要なんだ。
言葉ではうまく説明はつかないが意味を持つ風景。
俺たちはその何かにうまく説明をつけるために
生きているという節がある。俺はそう考える」
「それが私たちの生きるための
根拠みたいになっているということ?」
「あるいは」
「私にもそういう風景はある」
「そいつを大事にしたほうがいい」

もちろん僕にもそういう風景の記憶がある。
それを最初に見た時から5年10年が過ぎ、
その記憶が正しかったのかわからなくなった頃に
その風景の意味を理解することがある。
もしかしたら、今日のこともそうだったりして。
だから、自分の人生という物語を
読み進めるのはやめられない面白さがあるわけです。

どんなひどい風景も、それはきっと物語の前フリなんだ。
だから説明のつくまで読み進めなきゃ、もったいないぜ。

◎もしかしたら砂川が25歳を前に茶髪に染めた
   この写真なんかも、そんな風景のひとつだったりして。
◎1Q84、ちょうど文庫も出揃ったようだし、
   まだの人は手にとってみてはいかがでしょうか。
   ちなみにうちの社員は、全員、村上春樹好きです。
   続編、出てくれないかなぁ・・・?