2012/06/24

よく分からないし答えも出ないこと


3年前、あるテレビ番組に出演したとき僕は
ゴールデンタイムの全国のお茶の間の皆さんに
「自分は犯罪者になりかねなかった」
という内容のことをかなりはっきりと語った。
映像やテロップがそれを強調してもいた。

信念なので避けることはできなかったが、
僕にとって、かなり勇気を出しての発言だった。
この言葉に対する誤解や批判が
さまざまな形であるだろうと思っていたから。
だから結構な覚悟で感想を見て回ったのに
知り合いにせよネット上にせよ
実際にはここはほとんどスルーされて、
あれ、と拍子抜けしたのを覚えている。

「自分は犯罪者になりかねない」
と考えている人はどれだけいるのだろう。
僕はほとんどいないと思っていた。
そのような実感を人生の中で経ていなければ、
そんなことあるわけないと考えて当然だから。
僕にしたって、自分が追い詰められるまでは
そんなことを考えたことはなかった。
それは良い時代であるという証でもある。

でも歴史上の戦争ひとつを振り返るだけでも
ごく普通の人が信じがたい残虐な行為を
平気で行なったのは動かしがたい事実だ。
そして、それを進んで行ったのは
その事実に目をつむった人たちだった、と思う。
もちろん、僕だってそのように目をつむりうる。
いや、自分の命が危険に晒されたら
進んでそのように目をつむる気さえする。
だからそれを非難するつもりは毛頭ないけれど、
そうはなりたくないと切に思う。
だからこそ状況次第で人はいかようにも変わりうる
ということを僕は決して忘れたくない。

これは「犯罪者」だけに限った話ではない。
不登校、引きこもり、ニート、
精神疾患、あるいはさまざまなマイノリティ。
挙げていけばキリがないけれど、
正常の人と異常な人との境目は
日常的に考えているよりもずっと
薄い壁でしか隔てられていないと僕は考えるし、
そもそも壁があるかどうかすら怪しいと思う。

それでも僕は正常なふりをして、
特に異常な人物だとマークされることもなく
(思ってる人もいるかもしれないけれど)
楽しく充実した日々を送ることができている。
だが、そうでない可能性も十分にありえた。
問題なく生きられている一人ひとりが
そのような負の可能性に目をつむらないことで
正の可能性に意味が生まれ、輝きが増すのだと思う。
かっこつけるみたいであまり言いたくないが、
僕はこうしたことを踏まえて他者と関わりたい。

と思って、あえてテレビで発言したのだけれど、
これだけの無反応の事実を前にすると
あえてこんなことを言わなくてもいいほど
ほとんどの人は無意識では否定していない
という風に考えたほうがいいのだろうかと思う。
それとも、まったく反応しないほどに
思考停止してしまっているのだろうか。
頭の片隅で3年くらいぐるぐる回っているけど、
相変わらずよく分からないし答えも出ない。
ただ、ニュースで凶悪犯罪の話を聞くたびに
虚しくやりきれなく感じるのは変わらない。
だからこれからも僕は同じようなことを
何度も何度も語り続けるのだろうなぁ……。