2012/06/25

赤ちゃんの見ている世界


何気ない目でこちらを見つめる赤ちゃん。
一見すると、なにも考えてないように見える。
でも、この子は今この瞬間にも
世界からたくさんのことを受け取っている。
それを「学ぶ」と呼ぶとすれば
赤ちゃんはものすごい学ぶ意欲にあふれている。

車内放送を聞いてもテレビを聞いていても
お母さんのおっぱいを吸うような自然さで
たくさんのことを赤ちゃんは吸収している。
おそらく、それは気持ちいいのだろう。
自分が変わり続けるという快感は確かにある。
世界が不思議で満たされている子供時代は
変わり続けるという快感を味わい続けている。
そして、それがずっと続くと感じているからこそ
子どもは未来に心のそこからワクワクできる。

でも、それから10年が経ち20年が経つ頃になると
世界から何かを受け取りたいという気持ちは
いつの間にかほとんどの若者から雲散霧消してしまう。
学ぶという言葉に拒否反応を抱く子さえいる。
心の底ではそれがあるはずだと信じながらも
ワクワクする未来なんて口にすることができなくなる。
どうしてこんなことが起こりうるのだろう?
人間がそもそもそのようにできているのだろうか?
いや、そうじゃない、と僕は思う。
人間が本来持っている変わり続ける快感が
すり潰されてしまった結果ではないだろうか。

生命の本質は「動的平衡」であると述べていた。
たしか半年くらいで人間は細胞的には入れ替わり
そうやって生物として成り立っているんだ、
ということだったとざっくり記憶しているけれど、
それは僕は「学び」においても同じだと思う。
「学び」がなければ変わり続けることができず
快感が得られないまま生物として淀んでいく。
そうしてつまらない日常の中に堕すことになる。
僕らは世界から新しいものを受け取り
古いものを捨て去ることによってのみ、
日常と堕した世界から抜け出ることができる。
非日常という本来の世界の姿を見ることができる。

学ぶことは快感であるはずなのに
なぜ僕らはそれを失ってしまうのかという問題は
とても難しい問題で、ここでは語りきれない。
でも、学びの快感を取り戻すことによって
世界は再び未知なるものへ変わることは間違いない。
たいていの大人が思っているよりもずっと
世界は未知にあふれ冒険的な場所だと思う。
うっかりすると、世界中の物事が
わかったつもりになれてしまう現代だけれど、
よーく目を凝らせば
学べば学ぶほど未知にあふれている世界が
ほら、そこに見えてこないですか。
赤ちゃんの見ている世界よりも
さらに豊かで、謎に満ちたワクワクする世界が。