2012/07/31

努力。


どれだけ努力しても負けることがある。
オリンピックを見ていると、それがよく分かる。
マンガには描かれない現実の残酷さ。

そういえば、僕が高校をやめた頃に
ちょうどシドニーオリンピックがあって
高橋尚子や井上康生が活躍していた。
僕は彼らの輝きを直視することができなくて
自分を守るために彼らを馬鹿にしていた。
筋肉以外は何も持ってないボンクラだと。
僕にはその馬鹿にする筋肉すらもなかったのにね。

もちろん僕だって心の中ではわかっていた。
彼らがオリンピックの舞台に立てているのは
身も蓋もない科学的な努力を、幼い頃から、
ただひたすらに積み重ねてきたからなのだと。
地道な努力なんて言葉の対極にいた僕は、
そんな世界とは一生無縁だろうと思っていた。
だから、努力ができない自分を
なんとか正当化しようともがいていた。

大学受験をしようと決めた時はじめて、
地道な努力が必要とされる世界に
自分が足を踏み入れたんだと理解した。
その時の僕には彼らが金メダルのを目指すのも
負けないくらいの努力する理由があった。
そして僕は身も蓋もない科学的な努力が
必要であることを受け入れ、実行した。

それは決して簡単なことではなかったけれど、
僕の頭には、世界一を競うのと比べれば、
僕が挑戦している壁はるかに低いものであって、
これくらいの試練をクリアしなければ
僕には彼らのような輝くステージはないだろう、
という考えがいつもどこかにあった。

誤解を恐れずに言えば、大学受験は
本気でやれば誰でも受かる可能性がある。

実際、大学受験は東大でも三千人、
早稲田でも一万人くらいが合格する。
でも「本気でやる」のが一番むずかしい。

そして、それをしたからといって
必ず合格するという保証があるわけでもない。

とはいえ、勝負に負ける可能性があっても、
勝利を信じて全力をつくす以外に、
はっきりいって僕らがやることはなにもない。
それを恐れていたら何もできない。

勝てる見込みが薄くても。
それに全力をつくす理由なんかなくとも。
ただ目の前にある山に登ろうと挑戦すること。
そのような試練は時に必要だし、
それは人生の縮図だということもできるだろう。

なぜ山に登るのか?
それに理由は要らないのだと思う。
大切なのは登りたい山を見つけること。
そしてそれに挑戦する気持ちを抱くこと。
そういうことを、僕はやっていきたい。
それが僕にとってのエベレストみたいなものだ。
そのために身も蓋もない努力が必要なら、
喜んで受け入れたいと思う。