2012/09/29

幸せになりたくない、わけじゃないけれど。


幸せになりたい。
そう願えば願うほど幸せは遠ざかっていく。
なぜなら、不幸は僕らに必然的に訪れるから。
・・・なんてことをふと思ったので続けてみよう。

愛する人と別れなければならない時が来る。
大切なものを失わなければならない日もある。
理不尽なことも不条理なことも降りかかり続ける。
そういうことを避けようとするならば、
僕らは真実から目を逸らさなければならなくなる。
でも、よく見ればさ、世界中ハンパない不幸だらけだよ。

不幸は避けようがない。
であるからには、それには黙って耐えるしかない。
でも、そういうことを恐れている人って、
ずいぶんたくさんいると思いませんか。
すくなくともハタチそこそこの僕はそうだったなぁ。
そのせいで、ずいぶんいろんな人に迷惑をかけた。

幸福を追求することを否定したいわけじゃない。
でも、それを手にすることを求めすぎると、
いろいろなことを見失ってしまうように思える。
あるいは、不幸を恐れるがゆえに弱くなってしまう。

だから、僕は強さを身につけたいと思ってきた。
希望とともに絶望を見つめられる強さを。
絶望の中でも希望を目指すことのできる強さを。
僕にとって「学ぶ」ということは、
そうしたプロセスだったのかもしれないな。
そして、そうした日々は、ずいぶんと楽しかった。

そんなふうに思って過去を振り返ってみると、
この10年間いつも、すぐ手の届くところに
幸せがあったように思えてくるから不思議だ。

遠く離れた場所にある幸福を追いかけるのではなく、
いまここにある幸せを味わい尽くそうとすれば、
いつだって僕らは楽しく生きられるのかもしれない。
不幸は避けようがないけれど、
一方で、こんなにも幸せを味わい得る時代は、
人類史上、かつてなかったと言える気もする。

「みんな幸せです」と言えちゃう国が
世界にひとつくらいあってもいいと思う。
でも、そういう国の一員になりたいと
僕らが心から思っているわけではないように思う。
僕個人の率直な意見を言わせてもらえば、
幸せかどうかを他の誰かに決められたくはない。

そもそも、幸せってなんだっけ。
それについてはこの塾を立ち上げる時にも語ったけれど、
その中身は一人ひとり違っていいのだと思う。
むしろ、一人ひとりがそれぞれの人生を賭けて
違うものをきちんと立ち上げるべきなのだと思う。
そうして立ち上げた幸せのカタチの多様性を
互いに認め合い、ともに生きていこうとする営みを
人類の歴史と呼ぶこともできなくはないのかもしれない。

なんて。

最後の方は話がすこし大きくなりすぎたので、反省。
大きなテーマなので、僕の背丈にあうようなスケールで、
これからもすこしずつ考えを深めていきたいと思う。

◎本日、ベトナムより7枚目が届いてます!
 自分の内側にある「物差し」がどんな姿をしているのか。
 それを問いかける強さを、失わないでいたいものです。
砂川の塾報、熱かったね。思わずツイートしてしまった。