2012/09/05

ふたつの「やる気」と、見えないものを見る力。


「やる気」についてよく考えている。
僕らは「勉強法」のプロと思われてきたけれど、
実のところ、僕らの指導の勝負どころとなるのは
塾生の「やる気」をいかに引き出すか、にある。
勉強法は、そのためのツールに過ぎないと言えなくもない。

実際、僕の受験生時代を振り返っても
勉強の仕方を身につけることで一番よかったのは
机に向かおうという意欲が高まったことだった。
だって、やればできるのなら、やるでしょう。
やってもできないから、やるのがイヤになってしまうだけ。
勉強してもまったく理解できない上に、やったとしても
テストでの0点がほぼ間違いなかった高校時代は
そもそもテキストを開こうという気さえ起きなかった。

ところで、やる気には二種類あると僕は考えている。
それは「人生へのやる気」と「目標へのやる気」。
受験生の多くは「目標へのやる気」は持っている。
ただ「人生へのやる気」を持っているかは、人による。

「目標へのやる気」は、それを達成した時に
得られるリターンに応じて決まってくるのだと思う。
それに対して「人生へのやる気」は
目に見える形ある褒美が準備されているわけでない。
何が得られるかも、何が起こるのかも、分からない。
その分からない未知の未来に対してワクワクする力。
それが「人生へのやる気」なのだと思う。

そして「人生のやる気」が「目標へのやる気」を支える。
というよりも、それが「目標へのやる気」の上限なのだ。

目標は、目に見える。だから、信じられる。
人生は、目に見えない。だからこそ、信じにくい。
でも、いちばん美しいものは目に見えない。
それが、目に見えないものを信じられる人間が、
たとえ馬鹿だと言われようとも、強い理由だと思う。
たとえばジョブズは、いつも見えないものを見ていた。

自分の未来が目に見えないのと同じように
他人の未来だって目に見えるわけではない。
だから、僕らにできることは、ただ信じることだけ。
彼らの未来を、信じる。
それが指導するということの原点なのだと思う。