2012/09/14

Free is not free. (2)


昨日の続き。

僕らは、僕らが思っているほど「自由」ではない。
すくなくとも10年前、5年前、あるいは、
わずか1年前の自分を振り返っても、そう思う。
ということは、未来の僕からしてみれば
今の僕も、まだまだ自由ではないということ。

欲望からも、恐怖からも、嫉妬からも、
あらゆる僕を縛るものから真に自由になるためには、
あと、いったいどれだけの時がかかるのだろう。

歴史的を遡れば、ソクラテスが「自由」のために
進んで毒杯を仰いでからの少なくとも二千数百年間、
人類は自由のために智恵を振り絞ったり
時には血を流す争いをしたりしてきたわけだし、
僕はそうした人類史の先端で自由を求めて、
学び、挑戦し続けてきたつもりなわけだけれど、
今のところ、まだまだ自由からは程遠いところにいる。

人類の歴史が積み重なったという意味で、
僕らが今手にしている自由は
限りない人類の努力と犠牲の上に成り立っている。
あるいは、生命の進化の先端にあるという意味で、
進化の果てにかろうじて奇跡のように成立している。
一方で、そのようにして僕らが手にしている自由は
実はまだ消極的な形でしかあらわれていない。

だが、僕らが生きているこの時代は
おそらく、歴史上のどんな時よりも、
僕のような凡人でも「自由」を享受できる可能性がある。
その自由を、舵を握る船長のように
自在に使いこなせるようになるためには、
すくなからぬ「学び」と「経験」が必要だとすれば、
それこそが僕らがやるべきことなのではないか。

文字を教えるのはいい。
計算を教えるのだって大切だ。
でも、それらは「自由」が保証されなければ、
奴隷になるための訓練に過ぎなくなってしまう。
僕はそんなものを教育とは呼びたくはない。
自由をあたりまえのものだと思っていると、
いつのまにか、僕らは囚われの身になっている。
そのことを、いつでも忘れないでいたい。

そんな想いを込めた、Free is not free.
きっと僕の脳からは消えてしまう言葉だけれど、
そう考えたことの痕跡を、ここに留めておこう。

◎元指導スタッフの菊池が久しぶりに来てくれた。
 大学院への進学も決まって卒論に追われる日々とのこと。
 でも、相変わらずの笑顔で僕らは和んだのでした。