2012/10/01

フロンティアは、どこに。


アメリカという国の精神性を形作ったもののひとつに
「フロンティア(西部開拓地)」の存在があると言われる。
でも、あらゆる場所はほとんど冒険し尽くされて、
もはや僕らの住んでいる日本にも地球にも、
宇宙の果てとか、深海といった特殊な場所を除いて、
フロンティアらしいフロンティアは存在しない。

冒険好きの男の子なら、一度や二度くらいは
大航海時代のような「大陸発見!」みたいな世界に
生まれたかったなぁと考えたことがあるはず。
そのような人にとって、この世界は
もう開拓すべき場所のないつまらない世界なのだろうか。

中には、中国をはじめとするアジア諸国を
フロンティアだと考える人もいるかもしれないけれど、
それは単なるマーケティングの話であることが
僕の経験上、99%を占めている。
それは昔からある領土の奪い合いに過ぎないよ。
そうじゃなくて、まだ手付かずの、未知の世界。
そこに踏み入ること自体がワクワクする冒険であるような、
そんな「フロンティア」はもう存在しないのだろうか。

たいていの人は、ないと感じているように思える。
それは、この社会の息苦しさの原因のひとつかもしれない。
でも、いつの時代だって、目に見えないフロンティアを
見つけて開拓してきた人は、たしかにいた。

日本でいえば、大きな二つの区切り、
明治維新の頃と、第二次世界大戦の後は、
目の前にフロンティアが広がっていたのだろう。
それをみんなで共有することができたから、
国民が一丸となって開拓できたんじゃないだろうか。

戦争が起こったり、外圧がかかったり、
国が崩壊しかければフロンティアが生まれるけれど、
そんな惨事に頼らずにフロンティアを見つける力は、
おそらく僕らは持ったことがなかったのではないか。
そして、このまま、見つけられずに終わるのだろうか。

冒険するに値するフロンティア。
それは誰かが描いて語り伝えなきゃならない。
昔はそれを大統領とか総理大臣がやったのだろうけれど、
この時代は、僕ら一人ひとりがそれを創り出せる。

たとえば、僕には目の前に無限のフロンティアが見える。
なんでこれが見えないんだろう、とさえ思うくらいに。
見ようとすれば、ほら、すぐそこにあるじゃんか。
たぶん、変化を厭う人にはフロンティアは見えないし、
その存在を感知することすらできないのかもしれない。

でも、僕らがやっている「教育」ってさ、
一人ひとりの心の中にフロンティアを見出す力と、
そのフロンティアを冒険するためのスキルを
鍛えるものであると言うこともできるんじゃないかな。

そういえば、世界各国の人々の国民性を形作っているのは
それぞれのフロンティアとの関わり方だと言った人もいた。
そういう意味では、僕らが人生のフロンティアを
どのように見つけるのかは、かなり大事なのかもしれない。

凝り固まった知識や答えを伝えるものが教育ではない。
答えのある問題に答えることだけが人生じゃない。
人ってね、やっぱり、冒険好きなんだと思う。
だって、人類の歴史そのものが、冒険みたいでしょう。
いつだって、僕らは未知のフロンティアに挑戦してきた。
そして、これからも命ある限りそれをつづけていくだろう。
そう思えば、けっこう未来にワクワクしてきませんか。

◎開拓のベースキャンプは、こんな場所らしいです(oops...)