2012/10/25

学ぶこと、働くこと。


働く、ということについてよく考えてる。
しばらく前にすこし長めの草稿を書いたので、
遠からずここで公開したいなと思っているのだけれど、
その前に、学ぶことと働くことの関係について。

そもそも、僕らはいつか働くために学んでいる。
でも、「働きたい!」と思っている若者って、
あまり多くないなぁ、という気もする。
かくいう僕だって、
そう思ったのは大学に入ってずいぶんしてからだった。

働くというのは、どうにも悪いイメージが張りついている。
その原因は、たぶん、
いま働いている人たちの背中にあるのだろう。
いまGoogleで「働く」と検索しようとしたら、
「働く 怖い」という候補が三番目に出てきたし。
いや、これ、ちょっとすごいですね。

たしかに「労働」という言葉には、
なんだか「奴隷」のイメージとすら結びつくような
恐ろしい響きがある。
そして、そのような働き方は、
現実の世の中にはたくさんある。

でも、働くことってさ、
僕の経験で言えば、とても楽しいことですよ。
「傍(はた)」を「楽(らく)」にすることが
「働く」の語源とはよく言われることだけれど、
それは人の役に立てる、ということであり、
「ありがとう」と言われることであると思う。

「ありがとう」と僕らは言われたいんじゃないかな。
それは「ありがとう」と言いたいことを
世界からたくさん受け取ってきた僕らが、
成長して力がつくにつれて
世界に「ありがとう」を返したくなる、
という自然な気持ちなのではないかなと思う。
物をもらったら、お返しをしたくなるのと同じように。

むずかしいのは「ありがとう」と言われたり、
それを感じたりするためには、
それだけの力が自分にないといけない、ということ。
残念ながら、複雑になった僕らの社会の働く環境は、
わかりやすく「ありがとう」と言われることは少ない。
「人に貢献できている」と意識を感じられることも少ない。

でも、学ぶことによってその力を蓄えることができるし、
また、学び、世の中のことを知ることによって、
自分の働きがいかに
人に貢献できているのかを感じることもできる。
それこそが、「学ぶ」ということなのだと僕は思う。

学生時代にボランティアで他者に貢献することはできる。
でも、大人になって
自分を食わせるのに精一杯の状況では、
ボランティアをしたり、
他の人にかまったりする余裕はなくなる。
だからこそ、他人を笑顔にさせる力を身につけるために、
僕らは学んでいるのではないかな。
そう考えると「学ぶ」ことも「働く」ことも、
そんなに悪いもんじゃないと思うのだけれど、
どうでしょうか。

#ff4500第14回は「影響を受けた人」について。
 先日、甲斐とこれについて二人で話したとき、
 僕は、生きている日本人では6,7人思い浮かんだ。
 そういう人を持てることは、とても幸せなことですね。

◎写真は卒塾生の吉野(法政大学の二年生)。
 最近、よくオフィスに来て「修行」しているらしいです。
 こないだはスタッフの「座右の書」を聞いて回ってた。
 でも、座右の書ってのはな、自分で見つけてこそだぜ。
 みたいなパンチを皆で食らわせまくってます。
 それでも、倒れては立ち上がる、タフな吉野。