2012/11/15

道塾と道伴舎の違い。


今日の昼間に話していて、
道塾の頃と、道伴舎になってからの違い。
その本質的なところに気がついた。

道塾の時代は、独学の支援だった。
独学ができる人と、独学のできない人がいて、
正直に言えば、僕は独学のできる人だった。
独学に必要な情報収集や、集めた情報の分析や、
それを実行しながら改善を重ねることは苦手じゃなかった。
だから、「受験生時代の僕でも入る塾」を
目指してはいたけれど、突き詰めれば、
受験生時代の僕には道塾は必要ではなかった。
(既存の塾や予備校が僕には必要なかったのは大前提で)

最近うちで働きはじめた「すいそ」という大学一年生は
(もうすぐここにコンテンツとして登場するよ)、
『受験はゲーム』を読んで、
独学で勉強して早稲田に合格した若干19歳の若者だ。
合格した時に僕にメールをくれたのが縁のはじまりで、
僕とは見た目も性格も完全に違うのだけれど、
私立中学を中退していたり、
いろいろ変な道を歩んで高校を辞めそうになったりと、
はじめて話した時から感じるものがある青年だった。

彼としおめと三人で話していて、いまの道伴舎は、
受験生時代のすいそでも入る価値があったね、
という話になった。
合格のことだけを考えれば、
たしかに「すいそ」には道伴舎は不要だった。
それはまったく僕と同じだ。
でも、もし「すいそ」が今の道伴舎の指導を経ていれば、
結果は同じかもしれないけれど、
受験を通して得られるものは
より多かったんじゃないだろうか、
という話を自分で語っている時に気がついた。
いまの道伴舎は、
受験生時代の僕でも入る価値がある、と。

そのことに気がついた時、
僕は亀のようにノロい歩みで、
ここまで来るのに6年近くかかったけれど、
それでも、続けてきてよかったなと思ったんだ。
これからは、ようやくたどりついたこの地点から、
僕らのやっていくべきことを淡々とやっていこうと思った。

道伴舎は、今でも昔と同じく
「独学を支援する塾」であることに変わりはない。
でも、その目的は
ただ受験に受からせるためにあるわけではない。
独学というと字は悪いけれど、
つまりは「自学自習」ということだ。
教育の主要な目的のひとつは
自学自習する力を身につけることだ
と僕は確信しているけれど、
いま行われていることの教育と呼ばれるものの多くは、
それとは正反対に
学ぶ意欲や力を失わせる方向に働いているように思える。

激動の時代に、自ら学ぶことができなければ、
変化に応じて自分も変化して、
その時代を生き延びることができない。
今ほど「独学」や「自学自習」する力が
必要とされている時代もないだろう。

受験の合格という目標の達成を目指しながら、
生き抜くための力を鍛えつつ、同時に、
どのように生きていくかを
対話しながら考え続ける僕らの指導を受けて
受験に向かっているということは、
単に「独学ができないから頼っている」のではなく、
「独学の進化形」を一人ひとりが実践しているんだ。

そして、僕らは、ただ受験を受かるためだけでなく、
その先で彼ら彼女らを待ち受けている激動の時代に、
学び続けて、自分の人生の舵を
手放さずに生きていくための応援を、
たぶん、すこしずつできている。
そして、これからは、よりよくなっていくだろう。

僕のことを知ってる人は分かってくれると思うけれど、
いや、入塾者を煽りたいからって
こんなことを書いてるわけじゃないんですよ。
ただ、ずいぶんと時間がかかったけれど、
ようやく、すべての若者に対して、
心からこれが大切だぜって
確信を持って指導をしていけるなと深々と気がついたとき、
感動してちょっと泣きそうになったので、
その想いの冷めぬうちにと思って、
指の走るままに書いてみました。

そんな感じで、道伴舎は今日もやっています。
僕の目の前でも、いまも指導をしています。
残り数ヶ月。受験生は残り数ヶ月。
しんどいこともあるだろうけれど、
未来を信じてる限り、どんなことあがっても、
君たちの未来は明るいぜ!

だから。

みんな、がんばれよー!

◎写真は「すいそ」。これから登場回数が増えそうです。
◎空間宛にこんなメールをもらいました。
 「はじめまして。いつも拝見しております。**と申します。
 「人生をDIYする」のエントリーで
 多くの人に読んでもらえたらとありましたが、
 更新を楽しみにしているうちの一人です。
 今後ともよろしくお願いします。」
 ありがとうございます!
 このところ更新があまり多くありませんが、
 これからは、すこし空間が熱くなっていきそうです。
 おたのしみにしていてください・・・!