2012/11/09

切っ先を突きつけるように。


今回の#ff4500のテーマは「ナンパ」について。
おっと、そこで眉をひそめた人、
読み飛ばすにはまだ早いですよ。
それから、食いつきすぎた君は、
もうすこし落ちついて読んでくださいね。

内容は本文を読んでもらうとして、
ここで僕が書きたいのは、
それがどのように書かれているのか、ということ。
受験へ向けて小論文を練習している人も
多い時期だと思うけれど、受験の小論文と、
こうした場所で書く文章は、根本的に異なる。

小論文というのは、端的に言えば、
試験官に採点されるためのもの。
そこに「想い」を込めたり、自説を主張し過ぎたりすると、
減点されてしまうことになる。
だから、どのようにして採点者に認められるか、
を目的に書くことになる。
そのための最も効率的な方法は、
カタを覚えて、そこにあてはめていくこと。
それはそれで、時には必要な力だと思う。

でも、それなりの量の文章を
これまで書いてきて思うのだけれど、
文章を書くことのほんとうの効用は
誰かに認められるためではなく、
自分を他者に伝えるための手段だ
ということに尽きるのだと思う。
言葉は、文章は、人と人とがつながるという、
かけがえのない経験を生み出す素地となる。
「想い」や「自説」をおもいきり込めて、
そこに自分の生き様をリンクさせて、
伝えたい「誰か」を目の前に思い浮かべながら、
その人に届くようにと一文字ずつ綴っていく。

道伴舎空間に載っている文章は、すべて、
そのようなプロセスを経て掲載されています。
「ナンパ」という、それだけ見たら
誤解されそうなテーマでも同じこと。
たとえば、このひとつの記事を書くにあたって、
著者本人から送られてきたメールを、
許可をもらって以下に抜粋します。

「『ナンパ』という言葉自体が
ネガティブワードなんだと思いました。
相手を思いやれないナンパが横行しているので、
世間的にいいものと見られておりませんが、
私はナンパ行為をみんなに推奨しています。
ナンパはネガティブなものではないんだよ、
と第2パラグラフに書いたつもりですが、
読み返してみると
まだまだそのイメージを払拭でききれていない
(=情理を尽くしきれていない)と感じましたので、
第2パラグラフに(ただし相手を思いやることの
できないナンパは褒められません)と追記しました。
が、これでも読み手への配慮がまだ薄い気がします。
いかがでしょうか。』

最も相手に届かせるためには、
最も相手のそばへ踏み込まなければならない。
ギリギリの間合いから、懐に飛び込み、
相手に切っ先をつきつけるように文章を書くことは、
誤解される危険から逃れられない。
でも、何かを伝えるためには、その怖さを乗り越えて、
一歩踏み出していかなければいけない。

今回の#ff4500は、さらりと書かれているようで、
そのギリギリを見切った「踏み込み感」が
気持ちいいなと僕は感じたのだけれど、どうでしょうか。

今年の塾報は、かつてなく長い文章で、
塾生や卒塾生も感想をけっこう送ってくれている。
ほんとうに、いつも、どうもありがとう。
たぶん、自分を載せた文章を書けば書いた分だけ、
すこしずつ自分というものが分かっていくし、
創られ、また、磨かれてもいく。
先週末、今年の塾報に毎回感想を送ってくれている
「T君」と話したけれど、彼の成長ぶりは、
すさまじいの一言に尽きたな。

「カタ」にはまった自分ではなく、
まだ見ぬ自分に出会うために、
誰かに伝わることを願いながら文章を書く。
そういう経験を繰り返して、
僕はすこしずつ前に進んできた気がします。
そして、今いる人たちとつながってきたように思います。
そういう場に、この空間や塾報が、
なるといいなと思っています。

◎しゅんしゅん!が遊びに来てくれました。
「機会があれば、また戻ってきたいですね」という一言に、
しおめが泣きそうになるという一幕も。
僕が言うのもなんだけど、
笑顔以上に中身が素敵な男になっています。しゅんしゅん!

用務員日誌は、「まつりのあと」が更新されています◎
僕も、じーんとしました。みんな、おつかれさまでした!